豆の数を数える

精神の健康を維持するために、ASDなりのライフハックを蓄積して取捨選択すべきであろう、と今日フランスのドラマの「ラファエルとアストリッド」を見ながら思った。

ドラマの中で紹介されていたハックは、豆を数えて自分が抱えているストレスのレベルを把握する、というもので、例えば人と過ごす時間があれば豆の数は減り、1人で過ごす時間を確保できたら豆の数は増える。

私はずぼらなのでそんな面倒くさいことはできないのだけど、自分の主なストレス源とリラックス方法を把握しておくことは大事だなと思った。

ストレス源は何と言っても人間関係で、社会に出ていた頃は、飲み会からアパートに帰った後、ネットサーフィンをしながら延々と髪の毛をいじり続けていたものだなあ。そうしないと回復できなかった。本当は次の日もあるのだから早く寝るべきだったのだが、そういう時間を2,3時間と過ごさなければ風呂場へと体が動かなかった(そして私はいつでも風呂に入らないと眠れない)。それで次の日も社会に出なければならないとなると、寝不足で起きてさらにストレスを抱える羽目になった。

この問題は結局、特に努力なく、飲み会に行かない状況が得られたことによって解決を見た。飲み会以外でも、人との会合対面には飲み会と同じようなストレスを与えるものがあって、それを意識し始めてからは、そういう人との会合を意識的にコントロールするようになった。できるだけ連絡を取らないようにするとか、連絡を維持するにしても、1年または数年に1度程度にするとか。コロナの頃に地方へ引っ越したのもこれを促進する良いきっかけになった。

で、今私が悩んでいるのは、同居する親との距離である。私は在宅ワーカー、親は隠居、ということでお互い家にいる時間が長い。食事は一緒だし、日に何度も顔を合わせる。母の存在は、お互いに若かったころに比べて次第にストレスの多いものになってきた。原因はよく分からないが、母が年老いて繰り言が非常に多くなったのが大きい。同じ話を毎日のように聞かされるのはストレスが大きい。「寝るは極楽、起きるは地獄」という寝る前の口癖にも胸をかきむしりたくなるようなストレスを覚える。そして母はわがままになり短気になり無神経になった。それとも昔からそうだったのだろうか。そろそろ与えてきたものを返してもらっても良い頃だ、と彼女は考えているようにも見える。私とて育ててもらった恩を返すのは仕方あるまいとは思うのだが、母の要求が私ばかりに向かって兄と姉がそれを免れているのにはときどき腹が立つ。母が私にばかりもたれかかるのは、私が一番気の合う子供だと母が考えている(確かにかつてはそうだった)のと、兄と姉に家庭がある一方、私がどこに住んでも構わない独身子無しのフリーランスであるのが主な理由である。

そして、母と息子(私の兄)との関係は良くない。息子は二度と母親の顔を見たくないと言い(私はこれを嫂から聞いた)、母はなぜ息子が顔を見せないのか理由を知らずに悲しんでいる。「(息子は)1人で育ったような気でいる」というのも口癖である(まあしかし、1人で育ってないからこそ拗れるのである)。

このままだと私が母の更なる老後の世話も見るのであろう。それはまあ誰かがやらねばならぬので仕方ない、引き受ける気ではいるが、腹の虫がおさまらんことがある。例えば今など。

おっと発達障害ライフハックの話をしていたんだった。

ともかく、避けがたい母との同居をストレスなく持続させるため、住み分けの必要性を感じている。

まず、私は母の要請で消極的かつなし崩し的に母の家に住み込むことになったため、数年が経過しながら、母の物のない隙間に自分の荷物を詰め込んで、とにかく自分の物が分散している。これを一所に集めたい。そして自分だけの全き居住空間を確立する。そしてそこに欠けるところなく安住できるようにする。まずこれが第一。

次に外出回数を増やす。仕事がない限り、最低でも週に1度は車か電車に乗って1人でどこかに出かける。

一緒に家で食事をする回数を減らしたいが、わんの午後散歩がネックである。夕飯は困難が大きいので、朝飯の方で調整する。外出する時は、できるだけ朝から出かけよう。健康と美容のため1日1食にしますってのも手かな…。

流石に夜も遅いのでこのあたりにしなければ。後日、家庭内分離の方法を列挙して実行すること。