不調のしるし

歯がグラグラしてる夢をたまに見る。母に言うと、私も若い頃よく見たわ、若い頃に見る夢や、と言われる。

しかし全く見ないときもある。このところ多い。何か心理的なものがあるのだろうか、と思って調べたら、ストレスを感じているとき、自信を失っているとき、体に不調がある時、免疫力が下がっているとき・・・などに見る夢だということだった。

とても当たっている。私は今明らかにストレスを感じており、それは歯の抜ける夢を見るまでもなく、トリコチロマニアが止まらないことで明らかである。ここ1ヶ月くらいでかなりの髪の毛を失った。美容院に行くのが辛い。自信はそりゃ失うさ、全然セルフコントロールができていないのだから。夜更かしが止まらない。いつも3時を過ぎてしまうのが悩みだったが、最近は4時を過ぎることすらある。もう少し日が長くなれば、寝る前に空が明るくなるのを見るようになるだろう。カーテンから日が差し込みつつある中で眠りにつくのは大変心の塞ぐことであるが、去年も数限りなくやった。そして間食、夜食がすごいので、そろそろ胃は悪いし、アトピーの兆候も出始めている。全てが悪い方向を指しているが、ドツボにはまっていくばかりである。

それでも今日、久しぶりに単独で街に出、村上春樹の新刊を買い、古本屋を冷やかし、リサイクルショップを冷やかし、必要な細々したものを買うなどして帰ってきたら、だいぶマシな気分になった。少なくとも今日はトリコチロマニアが出ていない。しかし不思議なもので、出かけている最中は何かと辛かった。春樹の新刊を買ったまでは良いが、その後のブックオフではまるで買い物に集中できなかった。本はあまり収穫がなかったが、カズオイシグロの短編集をゲットした。本の棚に集中できないので、漫画のコーナーで違国日記を立ち読みして、夏目アラタの結婚の最新刊を立ち読みした。

違国日記、マキオには大変共感するところがある。しかしマキオは私よりずっとデキるやつである。私はほぼ1対1の友人関係しか築けない、グループ交際のできない人間である(私の対人能力を超えている)が、マキオはできているし、恋人というのか親密な関係を持てる異性の友人がいるし、創作能力がある。うらやま。でも、マキオの母ちゃん(アサのばあちゃん)ちゃんと生きてるんだね。ほんでアサとも仲が良いと。とすると、普通ばあちゃんに引き取られるのでは・・・だし、周りもそうするよう説得するのでは・・・と思うのだが、その辺は特に何もなくアサはマキオに引き取られている。それは尋常じゃない成り行きだから、もうちょっとその辺の説明をしてくれ。じゃないとリアリティを感じられない。

夏目アラタは8巻がピークであった。9巻は割とタラっとした感じに流れる。また次巻で流れが早くなるのでしょうが。

なんか申し訳ないが、マンガはほぼ立ち読みになってしまう。なぜかって、場所を取るからである。どんなマンガもいずれ飽きるし、「これ、大した作品じゃなくね?」という境地に至る日がやってくる。飽きるのは本にしても同じことだが、その違いは、繰り返しになるが、マンガは場所を取るが、本は場所を取らない、というところにある。すでに興味を失ったものが限りある本棚に幅を利かせているというのはなかなか苦になるもので、なんで衝動買いしてしまったんやろう、と必ず後から思う。じゃあまた古本屋に売れば良いのだが、それはそれで惜しい気がしてしまう。私は本を売れない人間である。多少なりと新しい世界に目を開かせてくれた作品を売り飛ばすのは何となく気が咎める。ほとほと愛想が尽きた、作者を軽蔑する、見るのも嫌だ、マイ読書歴から抹消したいというレベルに達しないと売れない。

そんなんでマンガに関してはたいそう申し訳ないが、本は買うので勘弁してくり。

ちなみに本は、どんなに気に食わない内容でも、「2度とこの作家は読まない」ということを肝に銘じるために持ち続けることが多い。別個に「2度と読まない作家リスト」も作っているけれどね。このリストを作っているのは、これは過去の過ち、すなわち1度読んで損したと感じた作家の名前を忘れて再度同じ作者の別作品を読んでしまう、という過ちを何度か繰り返したことによる。つまんない本て忘れちゃうしね・・・

とにかく本は時間を取る。人生において読める本の数はそう多くない。特に私は読むのが早くもないので、下らない作品で人生の貴重な数時間をドブに捨てさせられるのは痛恨なのである。

・・・話が大きく逸れたが、本日、辛い辛いと思いながら買い物を済ませ、家に帰ったら、不思議と頭は静まり、心臓ははやらず、落ち着いた頭で村上春樹の新刊を読めた。決して成功した外出ではなかったと思うのだが、辛くとも、成功の見込みがなくとも、場面を転換するのは大事なのだな・・・と思った。今後も適度に外出しよう、と引きこもりは思った。