ダンス・ダンス・ダンス

村上春樹のファンであるけれども、この作品はあまり好きなほうではなかったので、高校の頃に1回読んだきりだ。

20年の時を経て読み返して思うのは、人間の記憶力というもののいい加減さと、あと、人間の好みって時間が経ってもそんなに変わらないんだな、ということである。

どこが気に入らないのかを先に述べると、まず、ストーリー展開が強引すぎる。とくに主人公とユミヨシさんの関係であろうか。ユミヨシさんとの出会い方も不自然であるし、都合よく主人公になびきすぎる。村上春樹の女性登場人物があまりに主人公に都合よく動く(動かされる)というのはよく指摘される話だけれども、このユミヨシさんは最たる例ではないかと思う。ユキとの出会いや、主人公にすぐになつくのもやはり不自然で、虫がいい話だ。

あと主人公が2度にもわたって女買ってもらえるのも大変都合がよい話である。本人が希望してもおらず、積極的でもないのに。やはりストーリー展開が強引だ。

あと、主人公がユキの無責任な両親に対してかなり毅然としてモラリスティックであるのもちょっと鼻につく。もちろん村上春樹の主人公が超然としたタイプであるのは今更のことではないのだけど、この作品では妙にそれが気になった。

物語全体がそういう強引な展開で駆動されていくので、全体として入り込みづらい。しかし、そういういささか強引なストーリー展開に何か秘密が隠されているのか?この話のメタファーが、あまり私には分からない。

が、言っても始まらないのでストーリーをまとめておこう。

1 仕事で函館に行く。その後帰らずに札幌のドルフィン・ホテルに行く。

2 ドルフィン・ホテルで働くユミヨシさんに出会い、仲良くなる。

3 ホテルの中で羊男に再会する。

4 たまたま五反田君の映画を見て、キキを発見する。

5 東京に帰ることにする。ユミヨシさんからユキを託され、飛行機の欠航に見舞われながらも2人で東京まで帰る。

6 五反田君に連絡を取り、五反田君と会う。五反田君の家を訪ね、女を呼ぶ。メイと出会う。

7 雪から電話があり、ドライブの約束をする。

8 ドライブに行く前に警察がやってきて、メイが殺されたことを知る。警察で取り調べを受け、留置される。

9 牧村拓の力で警察から解放され、ユキに会う。ユキと一緒に牧村拓に会いに行く。

10 五反田君に電話し、会う約束をする。五反田君に会い、メイが殺されたことを告げる。

11 ユキとハワイに行くことを決める。牧村拓、五反田君、ユミヨシさんに出立を告げる。

12 ユキとハワイの海で過ごす。翌日、アメに会いに行く。アメがユキと過ごす間、ディック・ノースと海岸を散歩する。

13 ホテルの部屋に牧村拓が手配したジューンがやってくる。

14 平和に過ごしていたが、ユキとドライブ中に、雑踏にキキらしき人影を見つける。歩いて追いかけるがキキは消え、6体の白骨のある暗い部屋にたどり着く。

15 ユキをアメに預け、1人東京に戻る。

16 五反田君から電話があり、会う約束をする。部屋に招き、飲んで過ごす。五反田君と車を交換する。ジューンの問合せを依頼する。

17 五反田君からジューンが売春組織を3か月前に去っていることを知る。五反田君と会合を重ねる。

18 ユキが日本に帰る。マセラティでユキとドライブに出かける。ユキがマセラティに拒否反応を示す。

19 ディック・ノースが日本で死ぬ。スバルでユキとアメのいる箱根に向かう。ディック・ノースのスーツケースを預かり、家族に送り届ける。

20 五反田君に会い、キキの耳の話をする。キキが殺された可能性に五反田君が触れる。

21 刑事の「文学」に出くわす。捜査の経過を聞く。

22 箱根でユキとアメに会う。

23 例の映画をユキと見る。ユキは、五反田君がキキを殺したと言う。

24 五反田君と会い、マセラティでドライブし、シェイキーズに入る。キキを殺したかと尋ねる。五反田君が店から姿を消す。

25 五反田君とマセラティが海から引き上げられる。

26 ユキと会う。ユキは、家庭教師につくことにしたと告げる。

27 キキの夢を見る。

28 ドルフィン・ホテルを訪れ、ユミヨシさんに会う。ユミヨシさんと暗闇に迷い込む。羊男はいない。ユミヨシさんを見失う。目覚めるとユミヨシさんがいる。

 

3での羊男との再会には、いろいろとヒントが隠されている。羊男によれば、僕は「結び目をほどいてしまった」「失うたびにしるしを置いてきてしまった」それゆえに「もうこの場所としかつながっていない」「つながりを失ったら、あんたはこっちの世界でしか生きていけなくなる」

また、誰かが僕につながろうとしている。羊男の役目は配電盤のようにつなげることである。僕がつながれるよう羊男は手助けをするが、僕も努力しなくてはならない。すなわち、踊り続けなくてはならない、しかも、誰もが感心するくらいうまく踊らなくてはならない。これがタイトルの由来になる。このアレゴリーが分かりづらいのだが、これがシーク&ファインド型の冒険物語であるとするならば、何かを見つける旅の途中で降ってきた難題をうまく解決する、誰もが感心するくらいうまく解決する、というのが「踊る」ということになるのだろう。

僕が探求するのは、羊男のいう「つながり」であるけれども、耳の女すなわちキキでもある。そしてその旅の過程で(探求対象とは一見全く無関係に)与えられるミッションがまず、迷子になった王女(=ユキ)を両親の元に送り届ける、というものなのだが、これがなかなかうまく行かない、というのは両親が王女の受取りを拒むからである。しかし物語の終盤に、ディック・ノース(の死)と映画の中の五反田君の援助を得て、何とか新しい道に王女を送り出すことに成功する(ユキはディックの死によって腑抜けとなった母を支える側に回る。また、ディックの死を受けてユキが後悔を口にし、僕がそれを窘めるシーンがあるが、これによってユキはディック同様見下している父親(牧村拓)への接し方を振り返ることになる。ユキは機能不全家族を何とか乗り越え、先へ進むことになる。)。小田急の駅にユキを送り届けて、僕のミッションは何とか終了する。

もう1つのミッションとして、五反田君を加えてもいいのかもしれない。本当の自分と演じている自分の乖離に苦しむ五反田君は、動物に姿を変えられてしまった王子(王女)であるとも言える。しかし、僕は、五反田君の乖離に光を当てることには成功するが、五反田君の本当の姿を引き出そうとすることを躊躇い、引き返す。そして五反田君は虚飾(マセラティ)ごと海に飛び込んで死んでしまう。こちらのミッションは失敗だった、ということになるのか(ところで五反田君は、キキの殺人はここの世界で起こったものではない、だから自分にはコントロールができない、遺伝子に組み込まれているのだ、と語るけれども、それは「海辺のカフカ」でカフカ少年の周囲に起こった殺人を想起させる。あれも別の世界で起こった殺人だった。)。

こうして、探求の対象(キキ)は消えてしまったので、主人公の旅の目的は果たされない。ここまではいいのだが、よく分からないのがここから先の展開で、僕はユミヨシさんを求めるようになるのだ。なぜそうなるのか?ユキを失い、五反田君を失った後では、僕に残された最後のつながりがユミヨシさんだったからだろうか。最後のシーンも謎が多い。僕はユミヨシさんに起こされて再度羊男のいる(はず)の暗闇に足を踏み入れるのだが、この時の違和感は(僕も気づいたとおり)ユミヨシさんが制服を着ているということである。僕が暗闇を抜け出てさらに目を覚めましたときも、ユミヨシさんは制服を着ている。ユミヨシさんは制服を着て一体何をしていたのか?

(この先は完全な妄想なのだが、ユミヨシさんは暗闇が再度現れた時に、羊男の部屋を訪れて羊男を殺してしまったのではないか、とちょっと思っている。ユミヨシさんが僕を起こしたのはその後だったのではないか。それもまた、五反田君と同様、ここではない世界で起こった殺人であり、ユミヨシさんのコントロールを超えて行われたものかもしれない。ユミヨシさんは神経質な人間である。ホテルという自分の愛する空間にいるかホテルや羊男という異物が混じり込んでいることを許容しなかったのではないか。僕を連れて再び羊男の部屋を訪れたのは、殺人者は現場に帰る、というやつではないか。ともかく羊男が死んだなら、白骨が6体揃う。)

どっちにしろ、この物語は謎を多く残したまま終わる。

メイは誰に殺されたのか、それは最後まで明らかにならない。それからジューンから渡された、かつ、ダウンタウンの部屋に残された電話番号がどこにつながっていたのか、それも分からない。電話はこの物語の重要なファクターだが、つながらない電話番号があるということは、そこに何か失われたリンクがあるということだ。メイ、ジューンにつながる失われたリンク。その正体が最後まで明らかにならない。

あまり好きではない、と言いつつ考察してみたら、意外に楽しかった。つまらんラストだ、と思っていたが、これは結構恐ろしいラストかもしれなかった(私の妄想の中では)。違和感というのはやはり大事だな。しばらく、村上春樹を読んでいくつもりである。「羊をめぐる冒険」を読んだので、次は「1973年のピンボール」にさかのぼる予定。あと、夏目漱石も並行して読んでいる。

 

追記:ダンス・ダンス・ダンスを考えるにあたって、ネットに転がっている論文をいくつか読んだのだけど、面白い指摘が1つあって、それは五反田君の車がマセラティであり、マセラティのエンブレムがネプチューンの三又の鉾であるということ。そして五反田君が僕の白昼夢の中で水泳教師の役柄で登場することなども含め、五反田君は水または海につながる存在である。これに対し、僕が乗る車はスバルで、恋人には月に帰れと言われる。僕は宇宙につながる存在である。

というのがその論考の指摘だったのだが、私がプラスで思いついたのが、ユミヨシさんがスイミングスクールに通っていることである。五反田君が海に引き摺り込まれて死んだ後、つながりを失った僕は宇宙に吹き飛ばされそうだと感じる。その時僕はユミヨシさんを求めるのだが、そのユミヨシさんも五反田君と同じく水につながる存在である。しかし、五反田君と違うのは、水に引き摺り込まれることを回避すべく、水泳を習っているという点である。すなわち、ユミヨシさんは、僕にとって五反田君の代わりとなり、かつ、水に引き摺り込まれることのない存在であって、それゆえに僕を地上につなぎとめることのできる存在であるわけだ。