子育てしたい?

酒が身に応える。梅酒とかカクテルとか、やっぱり甘い酒は止しといた方がいいんだろうか。大人しくビールを飲めと。でもビール、そんなに得意じゃないんだよな。ワインもそんな得意じゃないんだよな・・・

酒には弱いし、別に好きでもないので、飲まないで全然構わないのだ。ソフトドリンクで全然満足。しかし、飲む人とサシで飲むと、やっぱり気を使って頼んでしまうのだ。相手が飲まないとシラケる、という人が実際にいるので(そうはっきり言われたことがある)、過剰適応マンとしては、相手がどう考える人かも分からないまま、酒を頼んでしまうのだ。

昨日、もし子供がいたとして、私は子供に時間をかけることがしんどいと思う人間だ、ということを書いたが、それって割と普通のことで、珍しくはないと思う。人間、昔から暮らし向きが良いと、すぐ乳母だ子守りだって雇ってたわけで、育児というのは家事労働と並んで、できれば他人に押し付けたい、自分ではやりたくない仕事なのだ。

私の祖母などもそうで、祖母は明治生まれで、地方銀行の東京支店長の娘で裕福に生まれ育った人なのだが、そして結婚した後も、何不自由なく暮らしていたのだが、第一子である私の父を病院で産んだあと、そこから3年間、病院に預けっぱなしであった。産んだら産みっぱなし。それも家から2時間の場所にある病院で、月1くらいで様子を見に行く程度。そんなんで、父は母親のおっぱいとか吸ったことがないのであった。別に引き取れない事情があったわけではなく、また父は健康であった。ただ私の祖母は単純に育児労働をしたくなかったのだ。

そんなんなので、たまに聞く「子どもは生まれて3歳までに一生分の親孝行をしている」とかね、まあ嘘だと思いますよ。嘘、というか、全員には当てはまることではないし、大多数の人間に当てはまるかどうかも怪しい。子供は欲しいけど育児はしたくない、育児したくないから子供はいらない、なんて人はいくらでもいるはず。私もそうだし。

ただ、今は昔以上にそういうことを口にするのが憚られるようになっていて、私の祖母がしたように、病院に3年間子供預けっぱなしなんてのも、今ではあり得ないだろう。一種のネグレクトといわれるはず。今では、母性は率先して子供の世話を望む、とくらい考えられている(まあそういう人もいる。私の母はどちらかとしてそっちの方だ)。だからそういう本能のある女が子供の面倒を見るのが一番良いよね、となっている。そのようにして多くの父親たちは、やりたくない育児を免れている。

そう、男には「子供は欲しいけど育児はしたくない」という欲求が叶えられる選択肢がある。つまり妻に任せてしまえばいい。他方、妻の側にはそんな選択肢はほとんどない。それなりに稼げていたって、なかなかベビシッターを雇うとはならない。人件費が高いのもあるかもしれないが、それくらい母性神話が強いのだ、この国は。いつまでたっても保育園が充実しないのも、そこに理由がある。子供は母親の手で育てるべき、という非常に根強い偏見があるのだ。そんなんで、母親たちは、自らにあるかないか分からん母性を頼みになんとか育児をこなしている。私はそういう見切り発車が怖い。「やってみれば絶対楽しいから!」という言葉には何度騙されてきたであろうか。やる前から不安を感じる場合、その不安は結構当たっている、というのは私がこの人生において得た教訓である。流されてはいけない。何だかんだ言って、自分の直感を信じた方がよい。特に自分の適応力に自信がない場合にはそうだ。やってみたら何とかなった、となるとは限らない。どうもならんケースだって世の中には沢山あるのだ、ただそういう失敗は、犯罪となって世間に表れでもしない限り、スポットを当てられないだけで。

じゃあ、そういう現実を踏まえた上で、それでも子供を産んでもらうにはどうしたら良いかというと、それは保育園の充実であろう。それができないのなら、もう子供の数は減るしかない。

だから、下らない効果の上がらなそうな施策をぶち上げる前に、政府はとっとと保育園を何とかしろ、というのが私の意見である。