保育士が足りない

ファミマにお菓子を買いに行ったら、いつも買っているファミマブランドのかりんとうが100円から一気に130円に値上がりしていた。買うか買うまいか3秒ほど悩み、当然買わずにすごすご帰ってきた。こういうのは受け入れるのに時間がかかるものであるし、他の安いものを探す猶予がいるからね。しかし、厳しい時代になったものですよまったく。

久しぶりに日経新聞を広げたら、2022年の出生数がおよそ77万人、というのと保育士が足りない、というのが同じページに載っていた。

出生数が減るのは別に何の驚きもないが(こんな時代にこの国で生みたいと思う人がいるのが不思議だ)、それと同時に保育士が足りないってのはどういうことなんですかね。出生数が減ってるなら保育士の数は今のままでも自然に追いついてくるんじゃないかと思うのだが、その辺の計算はどうなっているのか。出生数も減るが、保育士の数も減るという塩梅なのであろうか。まあ分かるけど。知り合いから、膀胱炎は保育士の職業病だと聞いたことがある。子供から目を離せないからトイレに行く暇がないらしい。かように、保育士は給料が安いが、そのくせ激務長時間労働なのだよな。よくわざわざお金と時間をかけて資格を取ってなる人がいるよな、と思う。さらに言えば、保育士はキャリアを重ねてもほとんど給料が上がっていかないのだが、保育士のキャリア構想ってどうなってるんだろう。金の稼げる仕事は(将来の)夫に任せてやりがいをとる、という感じなのか?その人生モデル自体がもう古くて、給料が上がらないことで保育士としてのキャリアを断念する人が増えているというのが結局保育士不足の原因ではないか。

これほど必要としている人が多い中で(まあ出生数減った分だけは減ってるけど)これほど待遇の変わらない仕事もない。本当にこの国の政策はどうなっているのか分からん。いや、ケアワーカーに対する政策担当者の蔑視が根底にある(そしてそれは女性蔑視と結構重なっているところがある)のは分かるけどね。まあ少子化が進めば自然と解決されていくだろうということなのかもしれない。保育士を増やしたければ、結局給料を上げればいいのである。時短勤務の導入とか何とかいうが、まずは給料だろう。それで大体解決する。

出生数の低下の方だが、これから団塊ジュニアジュニアの出産期がやってくるので、多少は持ち直すという予測もあるらしい。私の兄が団塊ジュニアで、すなわちその息子が団塊ジュニジュニであり今年24か25になるのか、もう3年くらい顔を見てないが。彼は今、彼女と同棲すること2年目だか3年目である。その子にさらに子供が生まれる日が来たりする日があるかと思うと、どうも不思議である。兄の家系図はまだ続きがあるかもしれないが、私の家系図はもう更新を止めている。あっちでは再生産が続いているが、こっちでは生産終了になっている。私という遺伝子の乗り物に運悪く乗ってしまった遺伝子は、乗り換え先を見つけられずに私と一緒に墓場まで行くのである。いや、私という存在自体が遺伝子の墓場だといってもよろしい。そう考えると私の禄でもない遺伝子も哀れに可愛く思えてくるものだよ。

そんなんで今日も日本と私の衰退を見つめた。