シャドウイング記念日

まとまった時間があったらまとまった長文を書きたいな、と思いながら、仕事している。これは大体、まとまった時間ができたころには、そんな欲求も気力も消え失せているというパターンである。やりたいことはやりたいうちにやらにゃ。

やりたいうちにやらないで今も後悔しているのは海外移住である。この前、オーストラリアでブルーベリー摘むと50万円もらえるよ!とNHKクローズアップ現代でやっていて私の丹田は激しくうずいた(興奮すると丹田がうずくよね?)。パソコンの前に座って限りある視力その他の健康を犠牲にしつつやる仕事よりええやんと思って。なんとなればあっちの方が給料が良いし。しょぼーん。明るいお日様に照らされてオーストラリアでブルーベリー摘みたかったな…。もちろん、年取ってもずっとブルーベリーを摘み続けるのは厳しいし、そんな好条件だっていつ変わるかは分からないが、こっちだって、AIの進歩の如何によっちゃいつ失われるともしれない職業の身の上である。それは会社員だって同じなのだが、みんな「当面は大丈夫だろう」という根拠薄弱な薄氷の上で日々生計を稼いでいるのである。

私は基本的に日本という国を全く信用していないので(過去の失敗(敗戦、バブル崩壊その他)に対する反省も総括も改革も十分にできないような国なんて信用できないだろう?)、できるだけ日本にお金を預けたくない。というわけで、基礎年金以上のものは払わないし、日本円を必要以上に持っているのも怖いのでかなりの部分を外貨に換えている。

そうやって金銭的なリスクをヘッジした上でできることって何かな、と思ったら、やっぱり英語だろうな、将来、万が一海外に逃げた時のための。私の弱点は何といっても「聴く」ことで、読む書く話すに大きく後れを取っており、海外旅行でもたまに苦労するのだが、そこをやはり克服しておかないと、と思って昨日の夜から突如として「不思議の国のアリス」のオーディブルシャドウイングを始めた。耳を鍛えるにはシャドウイングが良いらしいと聞いたので。しかしこれ、結構そもそも原理的に厳しくない?すぐ気づいたのは、自分がしゃべると、オーディオ音声を聞き取れないやんけ、という点である。以前から常々、なぜ同時通訳者は自分がしゃべりつつ、同時に通訳対象者の発言内容を聞き取れているのか、というのが疑問だったのだが、同じ疑問がここでも。世の人間はまさか自分の声を聞きつつオーディオ音声も聞きとれているのだろうか?

私は自閉症スペクトラムであり、圧倒的視覚優位者であり、逆に言うと聴覚情報処理能力が低くて、それがそもそもリスニング能力の低さの原因でもあるのだけど、加えてカクテルパーティ効果が私のために働いてくれないという弱点もある。つまり、騒音の中で対象者の声が聞き取れない。同時に話しかけられるといずれの声も聞き取れない。もちろん、自分がしゃべってると他の者の声は聞き取れない。という、厩戸皇子及びイエスキリストの対極的無能力を発揮してしまうわけだが、結局これ、シャドウイングについても同じことじゃねーの。

というわけで、エアシャドウイングすなわち口パクでシャドウイングする方法に切り替えて頑張ってみたが、今一つ盛り上がらないのは仕方がない。しかし、音声は聞き取れるようになって(カクテルパーティ的無能力の問題をクリア)、しかし半分以上は内容を理解できず単語も理解できないので(これはリスニング能力の問題)、今後かなり練習が必要そうである。

聞くところによれば、人間なんでも21日間欠かさずに継続すると、それなりに目に見える効果が上がるものだそうな。そういう境地を未だ体験したことがないので、ぜひしてみたいものよね。そんなんで2月13日はシャドウイング記念日となったので、21日後の3月6日にその進歩の程度を確認してみよう。