「史上最大の作戦」(映画)

DVDレコーダーにとり溜めた映画の在庫がこの先の録画予定を圧迫しておる。

というわけで、徐々に見ては消していく作業を行うべし、と思って、まずこの「史上最大の作戦」から入った。

これ何で録画したんやろ。途中からの録画だから、テレビで始まって、あ、面白そ、と思って録画を始めたのであろうな。出発前の兵士たちが賭け事やってるシーンから始まる。長い映画だし、深刻そうな戦争映画だし、白黒だし、正直あまり見る気せえへん、がしかし、かつて見ようと思った過去の私に敬意を表して観ることにした。

ところで、最近、知り合いから、おいら実は「映画を早送りで観る人」なんよ、ということを聞いたことがあり、まじで?それで面白いの?と問うたところ、全然面白いべ、時間もったいないし。慣れると全然普通。しかし逆に普通の速度だと遅くてかったるく感じるようになってしまった。との返事。

私はどんなもんやろ、と思いつつも、ああ、そんな観る気のない映画なら、そんでもいいかな、と思った。私は映画は居住まいを正して観るもの、という意識が強いので、逆にそういう準備や覚悟を要する映画を観るのが次第に億劫になってしまって、ここ数年ろくに観ていないのであった。これでは逆に機会を逃してしまっていることになるがな。

というわけで、この「史上最大の作戦」は、重要な戦闘シーンなどを除いて早送りで観た。史上最大の作戦とは、第二次世界大戦時、連合軍がノルマンディー上陸を目指したいわゆるオーバーロード作戦というやつで、これは海岸への上陸のみならず、それに先立ち、パラシュート部隊による主要地域の攻略が行われた。が、このパラシュート部隊は、強風の影響で着陸予定地点が狂いに狂い、捗々しい成果は上がらず多くの犠牲者を出したとのこと(とウィキペディアで読んだ)。映画は、無事ノルマンディー上陸を果たして内地に進軍するぜ、というところで結構唐突に終わる。

 

印象に残ったシーンいくつか。

・兵舎での賭け事で2,500ドル(今と金の価値が違うから多分すごい価値)勝った兵士が、かつて大勝ちした直後に足を骨折して寝込む羽目になったことを思い出し、そして、もうすぐ出撃になることを予感して、再び金を抱えて、今度はスッカラカンになるために博打に臨むシーン。健全な青年であるなと思った。ジンクスにこだわるのはバカバカしいのかもしれないが、命に代わるものはないんや、ということをよくよく理解している。私だとそう思いきれるか分からん。

・オルヌ川にかかる橋を占領して援軍を待つ英国の部隊のところに、味方の部隊がバグパイプを吹き鳴らしながら共にやってきて、おお援軍が来た!となるシーン。戦場で楽器を演奏するという非近代性・非合理性が良いなあ、と思う。あと、沼だかに落ちた従軍牧師が、見失った聖餐用品のケースを必死(まさに必死に)に探すとことかもそうだな。

・米の元大統領、セオドア・ルーズベルトの息子のルーズベルト准将という人が出てくる。この人の知略で膠着していたノルマンディー上陸作戦の突破口が開けたみたいなストーリーになってたけど、これ、史実に合ってるのかどうかはよくわからない。

ロンメル将軍が、妻の誕生日を祝いにフランス製のお靴をプレゼントに買ってドイツに舞い戻ってる間に、オーバーロード作戦が始まってしまった、というのは史実らしい。

・賭け事で大金稼いで後に負けに行った青年(無事すっからかんになれたのかは謎)は、多くの犠牲者を出したパラシュート部隊の一員という(もうその時点で運が悪い)ことで、ろくに戦うこともなく部隊からはぐれて彷徨ってる間に負傷した上官と出くわして煙草吸ったりしてた。ともかく映画の中では無事だった。

 

その他、全体として、戦場の道具だて、と言っちゃおかしいが、今ウクライナで戦争があって遠い昔のこととは思われないので、結構興味深く見た。高射砲とか、戦車とか、塹壕とか、爆撃機とか。今も全部あるね(ただ高射砲は、昔は砲弾、今はミサイルをぶっ放しているらしい)。兵士のパラシュート降下も相変わらずやるようだ。もちろん、現代ではそこにさらに色んなテクノロジーがプラスされていっているのだが、戦闘の基本的なフォームというのは第二次大戦からさほど変わっていないのかもしれない。

いろんな兵士や高官の小エピソードが散りばめられていて、そして戦闘シーンも白黒ながら誠に迫力のあるものなので、集中力が途切れずに観られた。ストーリーというよりは、現代の戦場ってこんな感じ、という最もベーシックな戦争の風景を頭の中に描けた気がする。もちろんこれは「気がする」だけなのだけど。ここから色んな戦争映画を観ていったら、もっと戦場の解像度が上が(ったような気分にな)るかもしれない。

台湾で隠居

「いま、台湾で隠居してます ゆるゆるマイノリティライフ」(大原扁理著)を読んだ。

著者は低収入低消費をモットーにしており、ゆえに「隠居」なのだが、そこに共感して他の本も数冊読んできた。

今回もこれまでと別に内容は変わらず、単に台湾に舞台を移しただけで、稼がず使

わない、人にもそれほど会わない生活が繰り広げられる。この本の骨子を説明してください、と言われると何書いてあったかあまり思い出せない。なので、思い出せる範囲で印象に残った部分を以下にリマインドしておく。

・台湾は観光名目で入国して3か月住める。3か月経つ前に出国して、また3か月…を繰り返せばずっと住めるらしい。日台間の関係が友好なおかげ?

・切り詰めて月5万円で生活できる(ただしコロナ前)。

・台湾ではベジタリアン/ビーガン食が普及している(素食という)。台湾人の約1がベジタリアン/ビーガン。

・暑い。6~9月は地獄の季節である(私もGWに行ったことあるのだが、その時でもべらぼうに暑かった。さもありなん。)。冬はマイルド。

・暑さゆえか人々は時間にルーズである。約束も良く忘れる。

・人と人との垣根は日本より低く、杓子定規にルールを盾にとって他人を苛む人もあまりいない。

・公共インフラが充実している。スマホ充電スポット、公共Wi-Fi、飲料水など。あと町中に坐れる場所も多い。同時に人間的インフラも充実。

・1949年の二ニ八事件(1万8千~2万8千人の犠牲者を出した)以降、戒厳令のもと長く白色テロの時代が続き、民主化されたのはやっと80年代。民主主義の歴史はまだ短い。

・歴史的に何度も宗主が変わってきたこともあり、変化に対して柔軟である。コロナへの対応で成功したのもそのおかげかも。

・人の自己肯定感が日本よりも強い。

著者の総合的な感想としては、「日本に住んでいたときよりもよっぽどラクに生かしてもらっている」とのこと。

そうなんだ~。何が違うんだろう。私が以前台湾に行ったのは、2014年のことで、

友人と5人組で行ったので、土地に関する記憶は曖昧である(私の場合、人と出かけるとその人に意識が集中してしまうので、あまり旅先の土地自体とお近づきになれないのである。個人旅行向き。)。暑かった、日差しが強かった、バスとタクシーの運転がべらぼうに乱暴であった、タクシーの運ちゃんが信号待ちに読書をしていた、故宮博物館がすごく良かった(が同行者らはさほどでもないようだった)、士林夜市で食うものは不味かった、火鍋は辛過ぎた、飲茶は旨かった、1人で占領したホテルのツインルームが大変快適だった、九扮は身動きが取れないほどの人の多さだった。しかし何より仲間たちとワイワイやって楽しかった。

そんな仲間たちとも最近疎遠になってしまっている。あれからもう9年経つのか。まだ若かった。まだ取返しがつき、やり直しがきく年齢だった、がそのことに気づいていなかった。おっとテーマが逸れてきた。

私の感想は、台湾で隠居、いいじゃない、ということだった。私もフリーランスなので、台湾に渡ることもいくらでも考えられたのだなあ。今もう無理だけど。失ってから気づく、かつて手にしていた自由。そんなちょっと悲しい余韻を胸に感じつつ、ご本を閉じたのでした。面白かったです。

豆の数を数える

精神の健康を維持するために、ASDなりのライフハックを蓄積して取捨選択すべきであろう、と今日フランスのドラマの「ラファエルとアストリッド」を見ながら思った。

ドラマの中で紹介されていたハックは、豆を数えて自分が抱えているストレスのレベルを把握する、というもので、例えば人と過ごす時間があれば豆の数は減り、1人で過ごす時間を確保できたら豆の数は増える。

私はずぼらなのでそんな面倒くさいことはできないのだけど、自分の主なストレス源とリラックス方法を把握しておくことは大事だなと思った。

ストレス源は何と言っても人間関係で、社会に出ていた頃は、飲み会からアパートに帰った後、ネットサーフィンをしながら延々と髪の毛をいじり続けていたものだなあ。そうしないと回復できなかった。本当は次の日もあるのだから早く寝るべきだったのだが、そういう時間を2,3時間と過ごさなければ風呂場へと体が動かなかった(そして私はいつでも風呂に入らないと眠れない)。それで次の日も社会に出なければならないとなると、寝不足で起きてさらにストレスを抱える羽目になった。

この問題は結局、特に努力なく、飲み会に行かない状況が得られたことによって解決を見た。飲み会以外でも、人との会合対面には飲み会と同じようなストレスを与えるものがあって、それを意識し始めてからは、そういう人との会合を意識的にコントロールするようになった。できるだけ連絡を取らないようにするとか、連絡を維持するにしても、1年または数年に1度程度にするとか。コロナの頃に地方へ引っ越したのもこれを促進する良いきっかけになった。

で、今私が悩んでいるのは、同居する親との距離である。私は在宅ワーカー、親は隠居、ということでお互い家にいる時間が長い。食事は一緒だし、日に何度も顔を合わせる。母の存在は、お互いに若かったころに比べて次第にストレスの多いものになってきた。原因はよく分からないが、母が年老いて繰り言が非常に多くなったのが大きい。同じ話を毎日のように聞かされるのはストレスが大きい。「寝るは極楽、起きるは地獄」という寝る前の口癖にも胸をかきむしりたくなるようなストレスを覚える。そして母はわがままになり短気になり無神経になった。それとも昔からそうだったのだろうか。そろそろ与えてきたものを返してもらっても良い頃だ、と彼女は考えているようにも見える。私とて育ててもらった恩を返すのは仕方あるまいとは思うのだが、母の要求が私ばかりに向かって兄と姉がそれを免れているのにはときどき腹が立つ。母が私にばかりもたれかかるのは、私が一番気の合う子供だと母が考えている(確かにかつてはそうだった)のと、兄と姉に家庭がある一方、私がどこに住んでも構わない独身子無しのフリーランスであるのが主な理由である。

そして、母と息子(私の兄)との関係は良くない。息子は二度と母親の顔を見たくないと言い(私はこれを嫂から聞いた)、母はなぜ息子が顔を見せないのか理由を知らずに悲しんでいる。「(息子は)1人で育ったような気でいる」というのも口癖である(まあしかし、1人で育ってないからこそ拗れるのである)。

このままだと私が母の更なる老後の世話も見るのであろう。それはまあ誰かがやらねばならぬので仕方ない、引き受ける気ではいるが、腹の虫がおさまらんことがある。例えば今など。

おっと発達障害ライフハックの話をしていたんだった。

ともかく、避けがたい母との同居をストレスなく持続させるため、住み分けの必要性を感じている。

まず、私は母の要請で消極的かつなし崩し的に母の家に住み込むことになったため、数年が経過しながら、母の物のない隙間に自分の荷物を詰め込んで、とにかく自分の物が分散している。これを一所に集めたい。そして自分だけの全き居住空間を確立する。そしてそこに欠けるところなく安住できるようにする。まずこれが第一。

次に外出回数を増やす。仕事がない限り、最低でも週に1度は車か電車に乗って1人でどこかに出かける。

一緒に家で食事をする回数を減らしたいが、わんの午後散歩がネックである。夕飯は困難が大きいので、朝飯の方で調整する。外出する時は、できるだけ朝から出かけよう。健康と美容のため1日1食にしますってのも手かな…。

流石に夜も遅いのでこのあたりにしなければ。後日、家庭内分離の方法を列挙して実行すること。

2023.5の読書記録

ふふふ全然ブログ書いていない。何でやろ。ブログを書くということがナチュラルに私の日課から疎外されている。ていうか入る隙間がない。といっても別に忙しい毎日、というわけではない。が、このような忙しい日に限ってなぜか書きたくなる。しばらくアウトプットしないでごちゃごちゃしている頭の中を整理したいという気持ちによるが、単に現実逃避したいのだとも思われる。

漱石、「坑夫」の途中で仕事が忙しくなってきたのでストップしている。その前に読んだ「虞美人草」は酷い作品で、失敗作あるいは駄作といってよく、失敗作あるいは駄作なだけならよいのだが、始末に負えないのは、漱石個人の怨念(すなわちミソジニー)が燻り立つかなり毒性の高い読み物となっている点で、それを摂取した私はその毒気に当てられてすっかり意気消沈してしまったのであった。

虞美人草」が失敗したのは、漱石自身が自分の抱える怨嗟に執着しすぎたためではないかと少し思っている。具体的には、藤尾のキャラ設定に失敗した。藤尾というキャラクターにあまりにも業を負わせすぎて、それが自縛となって、藤尾という悪党が懲されるという陳腐で稚拙な結末を(漱石自身の気持ちとして)回避することができなくなってしまったのではないか、と疑っている。それにしても、もう少し理性的な結末の付け方をできなかったんであろうか。小野に藤尾の家まで小夜子を連れて行かせるとか、甲野家に関係者全員が集まるようにする(そして全員の前で藤尾を辱める)とか、娘が死んで嘆いてる母親に若造二人が説教をかますとか、登場人物に常識があれば(宗近一族、甲野さんなどは常識があるものとして設定されているはずだが)当然回避するはずの状況・場面をこれでもかと繰り出すところなんか、藤尾(とその母)に対する漱石の憎悪と加害欲が炸裂していて、もう目も当てられない。これは問題作であった。ある問題を世に問うたという意味の問題作ではなくて、漱石の抱える病的心理を世間に露出してしまったという意味で問題作であった。当時の人がどう思ったかは知らないけれど。

しかし、それでもこの作品を経て漱石は女への自分の眼差しを問い直すことができたのであろうか。この後の作品全部読んでないので分からないけどできていると思いたい。小説ってそういうことを可能にしてくれる作業なのではないかと思うし。

さて、それ以外では、仕事の合間にエッセイを読んでいる。仕事の合間に読むのはエッセイが一番だと気づいた。例えば「坑夫」なんか読もうとすると疲れる。感情的に疲れる。じゃあ感情的に疲れの出ないもっと軽いもの、となると、つい先が気になって読みすぎる恐れがある。じゃあストーリーがあまりなくて、頭を使わないもの、といったらエッセイである。そんなわけで、今は佐野洋子の「神も仏もありませぬ」を読んでいる。

佐野洋子初めて。北軽井沢に住んでいたころの経験をまとめたエッセイで、世の中に「おじさん文体」(あまりいい意味で使われないけど、ここでは別にネガティブな意味ではないつもり)というものがあるとしたら、この人の文章は「おばさん文体」という感じで(これも悪い意味では使っていません)、男や若い女が書く文章ではない。じゃあどんな特徴があるのかというと、このエッセイではとりあえず、家の半径5㎞くらいの話題が多い。話題の変転が激しい(が一応どの章でも元居たところに帰ってくる)。登場人物が多いが誰も大変生き生きとしている、あるいは生き生きと描写されている。どれも家の半径5㎞くらいの話である割に、とても面白いです。まだ半ばなんだけど、なかなかの手腕であるなあと感心しながら読んでいる。

この前には、森見登美彦の「美女と竹林」を読んだ。これは非常に低劣な代物であった。仕事を多数抱えてアップアップしながら書いた文章であることは分かるが、あまりにも文章の質が低い。こういうの、途中で放棄してしまえばいいんだけど、できないんだよなあ。特に森見登美彦のは(小説では)前半低調でも後半で盛り返したりすることもあるのでちょっと手放し難いのだ。でもこのエッセイは最後までグダグダのスカスカだった。無駄に長くて仕事の合間とはいえ時間を奪われたのが腹立つ。

その前には、伊丹十三の「女たちよ!」を読んだ。これは1年くらい前から寝かせてあったやつ。伊丹十三宮本信子と結婚する前年、映画監督になる十数年前に書かれたものなのだけど、映画監督じゃない伊丹十三って想像ができない。俳優であり何かのデザイナー?でありエッセイストである、と世間には認知されていたらしいのだが、それってどういう認知なのか、想像がつかない。話題は当たり前だけど今の世から振り返れば古くて、西欧の文物をひいきに取り上げる内容が多かったかなあ。食べ物、食べ方、料理法、車、ファッションなど。また、(どのくらい売れたか知らないのだが)こういう文章が尊ばれた当時の世相などを想像したりしている。1968年、敗戦から23年が経過した日の日本人は何を考えていたのだろう。団塊の世代はこのころ20前後ということになる。考えてみれば全共闘の始まる前夜だ。でも、このエッセイの対象読者の中心は、団塊の世代というわけではなかっただろう。ライフスタイルの向上を夢見るサラリーマンの読者が多かったんではないかな、と想像する。その時代の話題なのだ、と思って読んでいる。つまり、私はこのエッセイを現代にリレティブなものとして読まなかった。当時の世相、人々の興味の在り処が映されたものとして読んだ。そういうものとして読めばなかなか面白いけれど、そうでなければだいぶ使い古されたような話題が多いな、と感じた。これがなぜ2005年に新装再刊されたのだろう。それも私にはちょっと分からない。20代の多感な時期だったにかかわらず、2000年代に何があったのかをあまり知らない。もうちょっと時間が経てば分かるのだろうか。文章自体はとても良かった。話の掴みが明瞭で力強くて、最後まで牽引する力がある。

 

以上が最近の読書記録であった。最近の小説も読んだのだがそれはまた今度書こう。仕事を終わらせねば。

世界の終わりとハードボイルドワンダーランド

村上春樹の新刊「街とその不確かな壁」を読んだ。そのあと間髪入れず、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだ。それが先週金曜から日曜にかけてのことであった。我ながら暇物である。

「世界の終わり」は2度目で、15年ぶりくらいではないかと思う。初読時は印象の薄い本で、改めて読んだら驚くほど内容を覚えていなかった。けれどそれは小説の内容というより、それを読んだ当時の私の集中力にかなり問題があったせいだと思う。初めのエレベーターのシーンで既にギブアップ気味で、そこから最後まで背景事項をよく把握しないままダラダラと読み続けたような記憶がある。

新刊と、この「世界の終わり」の設定をどの程度同じものとして捉えていいのかは分からないけれど、新刊では明示されていない影の意義というのがこの「世界の終わり」にはきちんと書かれていて、影は「自我の母体」なのだという。「自我=心」という考えでいいのかな。そんなわけで、影を失った人間には心が育まれないのである。ただ、影がなくても、心の泡のようなものは発生するらしい。「世界の終わり」の僕は、心を完全に失っている彼女の心の泡を頭骨から回収して彼女に心を作り出そうとする。しかし、初読のときは、ハードボイルドな主人公は、最後消滅したのだと思っていたが、改めて読むと、壁の外に脱出した影はどこに行くのだろう?ハードボイルドな世界に還ってきて、消滅したハードボイルドな主人公に成り代わるのではないのか?それとも思考回路から脱出した以上は無に消える存在なのだろうか。そうすると影を脱出させた意味って何なんだ。意味はなくともそれが壁の世界の主人公の考える「公正」なのか。謎が多い。

つまらぬ仕事、後悔

昨晩は、3時ちょっと前に寝た。ここからもっと2時に近づけていきたい。

夜食はしてしまった。食卓の椅子に腰を据えたが最後逃れがたいものがある。

短納期の仕事、目途ついてきた。しかし、仕事がつまらなくて困る。つまらないのでどうしてもわき道にそれる。このようにつまらない仕事を金のために続けるというのは不健全である気がする。もちろん、そういう人は他に多くいるだろうことも分かるが、その人たちも私も不健全である。そういう不健全さがひいては社会全体を不健全にしているのではなかろうか。

だいたい働け働け、働かざる者食うべからずとかいうから、働かないよりはまだマシかと思って若者が闇バイトのごときに手を出して詐欺やら窃盗やら強盗やらの片棒をかついでしまうのではないか。

しかし、自分の食い扶持くらい自分で働いて稼げよ、と思うのも世の人の自然の心理であって、また自分の食い扶持くらい自分で働いて稼ぐのも健全である気がする。しかし、その「働いて稼ぐ」にあまり意に染まぬことをするのは不健全である。

結局、好きなことを仕事にするしか健全性を維持する道はないということになり、そもそも、好きなことを仕事にするくらいの余裕を与えんがために、若者には高等教育の道筋が開かれているわけであるが、実際にその機会を十分に利用し自ら利益とした者は、必ずしも多くないように見受けられる。かくいう私もそうである。学部、院、浪人時代とさすらうこと12年余り、一体なにをやっていたのであろうか。

…と過去のことを考えると愚痴っぽくなり、くよくよ川端柳となるのがよろしくない。過去は変えられないにしても、まだ先が長い(うんざりするほど長い)のであるから、むしろ今後いたずらに歳月を浪費せぬよう心して生きるべきである。

しかし、過去を後悔できるのも、今たどり着いた場所が分かっているからであって、見えぬ未来を後悔せぬように生きるというのもなかなか頭も気力も使う話ではありませんか。まあ、頭と気力を使って生きろよ、ということなのであろうが、それがしんどいのでこうしてあれこれ言って、何某かの抜け道か筋斗雲かがその辺りに転がってはいないかと空しく探っているのである。

と、このように仕事に戻りたくないがためにダラダラと書き連ねたりなどしているうちに、納期は刻々と迫ってくるのであった。どうしようこの仕事。

脱夜更かし、仕事、全知全能の神

昨夜のブログで夜更かしと夜食への反省の弁を口にしながら、同じ手で午前2時に菓子パンを食べていました。愚かな私です。

問題は夜更かしである。夜更かしすると何か食べたくなる。昼間と違って、私の飲食を妨げる者はいない。というわけで、今がチャンスとばかりにかきこんでしまう。

けれど、現実には私には自分の部屋というものがあるのであり、間食したいなと思ったら、何も丑三つ時まで待たなくてもできるのである。他のことだってそうで、夜、家人が寝静まった時でなくてはできないことって別にないのである(テレビは1台しかないので、とりだめた番組を1人で見るには夜中になるが。)。

というわけで、いつも夜やっていることは昼間やってしまうことにした。このようにブログを今書いているのもその一つである。午前0時を過ぎたら書かない。ものを食わない。眠くなるまで本を読むのはいいかと思う。ただしネットはやめておく。キリがなくなるので。

ところで、10日ぶりくらいで新しい仕事が来ている。何だかんだいって、納期に追われるのに慣れているので、やはり仕事があると生活に張り合いが出てくる。これが仕事ばかりになると逆に辛くなってくるのだけど。

しかし、仕事の合間にもこうしてブログを書いたり、キリスト教のことを考えたりネットで調べたりしている。私の今の興味は、「なぜ全知全能の神の作った世界に悪が存在するのか」という昔ながらの命題である。これについては教父アウグスティヌスが何か言ってるらしいので、それを読んで考えたい。が、本買った方がええんかな。

ということをやっているので、あまり仕事が進まないのであった。納期は明後日である。