つまらぬ仕事、後悔

昨晩は、3時ちょっと前に寝た。ここからもっと2時に近づけていきたい。

夜食はしてしまった。食卓の椅子に腰を据えたが最後逃れがたいものがある。

短納期の仕事、目途ついてきた。しかし、仕事がつまらなくて困る。つまらないのでどうしてもわき道にそれる。このようにつまらない仕事を金のために続けるというのは不健全である気がする。もちろん、そういう人は他に多くいるだろうことも分かるが、その人たちも私も不健全である。そういう不健全さがひいては社会全体を不健全にしているのではなかろうか。

だいたい働け働け、働かざる者食うべからずとかいうから、働かないよりはまだマシかと思って若者が闇バイトのごときに手を出して詐欺やら窃盗やら強盗やらの片棒をかついでしまうのではないか。

しかし、自分の食い扶持くらい自分で働いて稼げよ、と思うのも世の人の自然の心理であって、また自分の食い扶持くらい自分で働いて稼ぐのも健全である気がする。しかし、その「働いて稼ぐ」にあまり意に染まぬことをするのは不健全である。

結局、好きなことを仕事にするしか健全性を維持する道はないということになり、そもそも、好きなことを仕事にするくらいの余裕を与えんがために、若者には高等教育の道筋が開かれているわけであるが、実際にその機会を十分に利用し自ら利益とした者は、必ずしも多くないように見受けられる。かくいう私もそうである。学部、院、浪人時代とさすらうこと12年余り、一体なにをやっていたのであろうか。

…と過去のことを考えると愚痴っぽくなり、くよくよ川端柳となるのがよろしくない。過去は変えられないにしても、まだ先が長い(うんざりするほど長い)のであるから、むしろ今後いたずらに歳月を浪費せぬよう心して生きるべきである。

しかし、過去を後悔できるのも、今たどり着いた場所が分かっているからであって、見えぬ未来を後悔せぬように生きるというのもなかなか頭も気力も使う話ではありませんか。まあ、頭と気力を使って生きろよ、ということなのであろうが、それがしんどいのでこうしてあれこれ言って、何某かの抜け道か筋斗雲かがその辺りに転がってはいないかと空しく探っているのである。

と、このように仕事に戻りたくないがためにダラダラと書き連ねたりなどしているうちに、納期は刻々と迫ってくるのであった。どうしようこの仕事。