撤退は早めに

夜の10時ごろ、わんわんをお休み前のトイレに連れ出したら、近くの小学校の職員室にまだ灯りがついていた。給料が良いわけでも残業代が出るわけでもないのに、よくやる。私にはでけん。大学の時、教職を取ろうかと思ったこともあったが、早まったことをしないで本当に良かった。保育士も、公立学校の教員も、自己犠牲のつもりでやっているとすれば立派だけど、さっさと辞めていった方が本当は社会のためになるんだぜ、と思う。でも、彼らも必ずしも自己犠牲のつもりでやるわけでもないのだろう。この雇用の流動性の低い日本のことであるから、辞めてしまったら次の就職に困るかもしれんし、給料安いから貯金もないし、辞めて逃げたとか落伍者とかメンタル弱いよねと言われるのも耐え難い。やりがいがあって辞められない、という人もあるだろうけど、それ以外の理由も多かろう。これは教員だけじゃなく、どんな仕事でも一緒だろうけど。

でも本当は無理だと思ったらさっさと逃げた方が良いのだ。というのは、精神にかけた無理は、体にかけた無理よりも祟るし、回復に時間もかかるからだ。辞めた直後の挫折感はこたえるかもしれないが、そのうち薄れる。無理は若い時間を浪費してしまう。撤退は早めに。時間を無駄にしたくなかったら、人目なんか気にしている余裕があるか。これは私が結構な犠牲を払って得た本当の教訓である。払ったコストを考えると、私にとってこれより大事な教訓はなく、実際にもこの内なる警告には何度か助けられている。

と、過去の教訓をここに確認したわけだが、それとは別に、もっと積極的に、攻める気持ちで転職をするという経験もぜひ1度はしておきたいものだ。近いうちに、できれば今年中に。ここ1年くらい、またはもっと前から、「これからどうしよっか」というのが私のもっとも頻度の高い口癖である。言った直後に、どうしよっかってお前さっさと仕事しろよ、と思い直すのだが、しかし口癖とはどうにも抑えられないものなのだ。じゃあ口癖さんの夢を叶えて差し上げろよ、と思うのである。今の仕事はやりたくてやっている仕事、というのは嘘じゃないが、その選択には妥協もあった。今の仕事を仕事にできたことで私は幾許なり成功体験を積み、人生への不安が薄れ、楽観を手にすることができたのだけど、しかしその成功が今足を引っ張っている。要するにそこに安住している。弛緩している。生きる喜びは希薄化し、筋力と気力は失われるばかりである。もう一度勝つか負けるか分からない緊張感の中でハードワークがしたいのだな。と、そんな思いを初めてまとまった量の文章にできたので嬉しい。

お休み。